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no surfing no life
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...vol.9  ハワイなんて大嫌い
LINO MAKANI
ヒットチャートのランキングをにぎわす様な音楽を僕は自分から聴く事はない。週末になると皆がこぞってくりだす最新のスポットにもあまり関心がない。もちろん、有名なラーメン屋の行列にも並んだ事は一度もない。「オレはみんなとはちがうゼぇ」というダサい、いきがった考え方が染み付いてしまっている僕にはミーハーな心が無いのだ。。
カーステでヒットチャートをガンガンに鳴らし流行のスポットに行き、帰りに有名なラーメン屋でラーメンをすする、なんてデートプランを計画する男の自慢げな話もきっと僕は笑顔でうなずきながらも「このTokyo Walker野郎が。。」と心の中で見下すだろう。
旅行でも「ハワイ」とかには行って見たいという衝動にはまったく駆られない。新婚旅行の定番、ブランド品が安く買えて、芸能人が正月に行ってetc.... アロハシャツを着て、ABC STOREの袋にマカダミアンナッツをぎっしり詰めて、日焼けした顔で成田空港に降り立つ御一行のひとりにはなりたくはない。それが、僕の長年にわたるハワイのイメージだった。 
LINO MAKANI」(リノ マカニ)というタイトルが付けられた、ある写真展に招待された。展示されてあるハワイの海景や植物の写真は、僕が知っているただキレイな色をしているだけの海や漂白された広告のような風景のよくあるハワイの写真とは、まるっきり違うハワイがそこに写し出されていた。「これが、ホントにハワイ?」「これが、ホントのハワイ。」僕の中にあった長年にわたるハワイのイメージは、一瞬にして崩れ去った。「高山 求」という写真家が切り取ったハワイの風景は完全にフレームからはみ出している。波の音のグラデェーション、月の光のにおい、風の色、が写真からあふれ出し、見ている者をじわじわと包み込んでいくのだ。「あぁ・・行ってみたいなぁ」写真展を見終わった時には僕は、純粋にハワイに行ってみたくなっていた。写真に切り取られたこの景色を生で見たら僕はきっと「感動」してしまうだろう。現実的にはいつ行けるかわからない僕は帰りに7枚セットの絵葉書を買って帰った、ドイツ製の葉書に印刷された写真は光沢がなく不思議な手触りで、紙のいい匂いがした。 ハワイには言葉では表現できないくらいに奥深い美しさが随所にある、と高山氏は言う。LINO MAKANIとは「輝く風」という意味らしい。
なるほど、僕が知らないだけで世界は光に満ちている。

...vol.8  サーフトリップという名の旅
デンパサール空港はまるで休日の大きな工場の様に静かだった。
夕方だが外はまだ明るく熱帯特有の温かく湿った空気と、どこからか漂う香辛料の甘く辛い匂いが肌にまとわりつき、長いフライトから開放された僕の体は奇妙な浮遊感を感じていた。それは、まさに「バリの空気」としか言いようのないものだった。
ツアー会社の迎えのバンに乗り込むと民族衣装を身にまとったガイドが日本語があまりうまくない事を許してくれと言いホテルの事や帰りの迎えの事などの説明を聞きながらホテルまでの道を車に揺られた。街の色々なところに建てられている石の神像の迫力と広告の激しい色彩が僕等の気分を高揚させた。宿泊するホテルに近づくと海が見えてきた。水平線にずぶずぶと沈んでいくインドネシアの夕日のあまりの美しさに僕等はあっけにとられていた。こんなにきれいに夕日が見えるのも珍しいとガイドは言ったあと、助手席から後を振り返り正しい日本語の発音で「ようこそ、バリ島へ」と僕等にやさしい笑みを浮かべた。
それから僕等は、毎日インド洋のすばらしすぎる波の恩恵を受け、島の神々にやさしく見守られながらサーフィンを思う存分楽しむ事が出来た。今日が何曜日で今が何時かなんて事を全く気にすることなくゆっくりと時が流れて行く。ガイドブックが薦める観光地を巡るような旅をしない僕はサーフィンをした後で、街をぶらぶらし、地元の床屋で髪を切ってみたり現地の人たちが参加するお祭りに民族衣装を着て参加し寺院の僧侶から神様の水をかけてもらったりと、その土地に溶け込むような日々を過ごした。
こうして僕にとっての「サーフトリップという名の旅」の初めての場所はインドネシアのバリ島となった。サーフィンを始めてなければ決して訪れる事はなかっただろうこの島。神様を信じながら生きる人なつっこくやさしい人達、全ての時間がスローダウンした様な感覚になる空気、まだまだ開発の魔の手を逃れて残る雄大な自然、今回の、気の合う仲間とのサーフトリップは僕に、地球、自然、人間、すべては一つにつながっているという事を気づかせてくれる旅となった。この地球の中にまた一つ自分にとっての大切な場所が出来たという事の素晴らしさを感じている。もう二度と悲惨なテロが起こらない事を切に願うのである。


FxxK Terrorist!


...vol.7  落ち着ける空間の音
 ごく稀に、飲み屋でも飯屋でも何の音楽も流れていないお店がある。
自分がどっぷりと音楽に漬かって生きてきたという事はまったく関係ないと思うが無音の空間はひどく落ち着かない。静けさの中のささいな物音にいちいち反応してしまうのだ。隣の席の会話や店の奥から聞こえる調理の音、タバコに火をつけるライターの音、そんな店では恋人や友人といても、僕は音のする方をキョロキョロとしてしまいうまく会話を弾ませる事ができない。
 幼い頃、正月や夏休みに家族で祖父母の家に遊びに行くことを僕は楽しみにしていた。親戚も集まりとてもにぎやかな夕食になる。夕食を終わると幼い僕ら、子供たちは先に寝かせられた。布団に入り耳を澄ますとふすまの向こうでは酒を飲みながら大人たちが会話をしている。かすかに聞こえる大人たちの会話や笑い声はなぜか僕を安心させた。祖父母の家の薄暗い不慣れな部屋で天井の模様の木目の節が何かの生き物の目のように不気味に見えても、うっすら聞こえる大人たちの声の中では僕はおびえることはなかった。むしろぐっすりと眠れた。
 最近、一人でフラッとよく行くBarがある、横浜の野毛というディープな町の界隈にあるカウンターに8人も座ればいっぱいの小さな店だ。店をきりもりするマスターがロングボードを愛するサーファーということもあり、お客の6割ぐらいはサーフィンを趣味としている人が多い。店内にはサーフィンの映像が流れ、メロウな音楽がかかっている。たまに僕のCDもかかるがそれはマスターのただの悪ふざけだ。(笑)
僕にとってこの店はとてつもなく居心地がよく、ここでは決してHIGHになり過ぎることもない。ブラウン管からはハワイで生まれたサーフィンがカリフォルニアで商品化されそれが文化となり・・・といったような内容のビデオが流れ、一番はじっこの席ではマスターと客がバカげた話をして大笑いしている。流れている音楽は「thicker than water」のサントラで、僕のとなりの客は仕事が忙しくて海に行けていないことを嘆いていた、店の中ではさまざまな音が交錯していて僕はその音の中に身をゆだねながら3杯目のマイヤーズのレモンを絞っている。店の外を見ると夕方から降り始めた雨はもう上がっていた。
 そして今夜もまた少しくすぐったいような妙な安心感に包まれた夜を僕はゆっくりと泳いでいる。


 BGM 「HONOR AND HARMONY」 G.LOVE AND SPECIAL SAUCE

...vol.6  海のそばの町
ページをめくればめくるほど読む者に悔しい程の嫉妬心を芽生えさせ他の追随を許す事なく活躍する、孤高の天才マンガ家の「松本大洋」氏がずいぶん前のある本のあとがきで、こう書いていた。「山が好きな人は山に暮らせばいいし、海が好きな人は海のそばで暮らせばいいし、都会(まち)が信じられる人は都会(まち)で暮らせばいい。」シンプルな言葉がいちいちカッコよく僕の胸に突き刺さったのは僕がまだ二十歳になったばかりの頃だった気がする。
最近、周囲の仲間や関係者の猛烈な反対を押し切って海のそばの町に引越しをした。職場からも離れ、地元からも離れ、だれか知り合いが住んでいるわけでもない海の町だ。引越しをした部屋は別にマドから海がみえるわけでもなく、新築のマンションでもないただのアパートだ。この部屋を紹介してくれた不動産屋のおばさんが言うには、この建物はもともと「なんとか財閥のなんとかサン」が別荘として使用していた家だと言う。その別荘にむりやり、いくつかの部屋を作りアパートに変えてしまったという不思議な構造の建物だ。良く言えば「昭和モダン」「ミッドセンチュリー」の風合いだが、悪く言えば概観は築何十年のボロい家だ。決して広くない間取りだったがその変わった造りが気に入りその部屋に決めた。3月サクラの花びらが舞い散るような雪が午後から降りはじめた日曜日に引越しをした。猫のひたいほどの庭に咲く、椿の花が雪の中でゆれているのをマドから見ていた。俳人ならここで間違いなく一句、詠む場面だろうなぁ。などと考えながらダンボールをひっくり返しては、全然かたずかない部屋の真ん中でとりあえず缶コーヒーを飲んだ。夕方、ご近所にあいさつをして回った。近隣の住民は圧倒的におじいちゃん、おばあちゃんばかりだったが、突然、引越してきた僕を皆やさしく迎えてくれた。
そして、海のそばでの暮らしが始まった。職場からはだいぶ離れてしまったため、いままでよりも朝、早く起きなければならない。ただでさえ、ギリギリに到着していた僕にとっては、過酷な作業である。でも、毎朝、駅に向かうために海を横目に海岸線をチャリンコでかっ飛ばし朝の冷たい空気を切り裂いて行く行為は海のそばで暮らすものだけが味わえる贅沢な瞬間だった。職場の仲間は、あわてて到着する僕に「おはよう」の代わりに「おつかれ」と朝から僕の肩をあきれた表情でたたく。僕はへらへらと笑いながら「おはよう」と答える。朝、海を見ながらペダルをこぐ気持ち良さを僕はまだ職場の仲間には内緒にしている、そして、少しずつこの海のそばの町に溶け込んで行く自分を今、ゆっくりと感じている。

...vol 5 年をとれない男たち
新宿にある沖縄料理の店、先日たまたま2日間続けて同じ店で酒を飲んだ。1日目は昔のバンドのメンバーと2人でオリオンビールを飲みながら最近の近況や昔の事などダラダラと飲みながら会話を楽しんだ。久しぶりに会った彼は、結婚はしたものの以前と変わった様子もなくPETER McINTOSHのTシャツが良く似合っていた。
彼との出会いは、もう10年くらい前になる。第一印象は「ミュージシャン」というよりも「戦士」のような雰囲気が漂っていた。それは今になっても変わっておらず僕は彼に「戦士」のような何かに抵抗しているオーラみたいなものを今だに感じる事がある。
2日目は波乗りの仲間2人とその彼等が「親父」の様に慕うサーファーと僕の4人で泡盛を浴びるように飲んだ。そしてまた皆が「親父」の様に慕うサーファーの彼にも独特のオーラがあるのを僕はなんとなく感じていた。もう何杯目か分らなくなった泡盛のグラスを飲み干して僕は、オーラを放つ「ミュージシャン」と「サーファー」彼等2人の共通点をぼんやりと考えていた。まず彼等は精神が幼く、瞳は少年の様に輝き、その反面少しだけ社会に抵抗しようとする障害を合わせ持つ、まさに「大人子供」な共通点があった。
「永遠の少年」というのは、彼等みたいな人達を言うのだろうか・・・
僕が勝手に彼等から感じていたオーラみたいなものは「年をとれない男達」のみが放つ独特の空気感かもしれない。きっと、好きなことを好きなだけやる人間には「老い」る理由なんかは見つからないのだろう。店内にうっすら流れる沖縄民謡を聞きながらそんな結論に達していた。さんざん飲んだ後、僕等は泡盛で火照った体を冷ますように夜の歌舞伎町を新宿駅に向かって歩いた。見上げた空にはいくつかの星が出てた。こんな都会でも星は見えるんだなと思った。そしてその帰り道、今月誕生日を迎えまた1つ年を重ねる僕の頭の中では、BOB DYLANの「ForeverYoung」がヘビーローテーションで流れていた。

...vol 4 サヨナラからはじまること
2005年になった。2005と書くと少し未来的な感じがするのは僕だけだろうか。
西暦が1999年から2000年に変わった時、当時、僕はデビューを控えたバンドのメンバーだったこともあり横浜のライヴハウスでカウントダウンのライヴに出演していた。確か2000年は辰年で「2000年が辰年ってなんかカッコイイな」と思った事を憶えている。あれから5年が経ちバンドも解散し年越しをライヴハウスで迎える事もなくなった今は、どこかいつもとは違う場所で年を越したく31日の大晦日、雨が雪に変わる前に僕は車で伊豆の海へと向かった。明日の天気を気にしながらも
アクセク動くワイパーに愛を感じながら海沿いの道を飛ばした。
そして、雨の熱川に着いた。予約していた宿のチェックインの時間まで少しあったので雨の中、傘をさし「バナナ・ワニ園」のまったく動かないオキモノの様なワニを見たりして時間を潰した。それから宿につき、夕食をとり、酒を飲みながら午前0時を待ち海の近くの小さな神社に初詣に行った。神主さんは日付けが変わると「おめでとうございます」と言い、白い紙のついた木の棒を僕の頭の上で数回振った後、お神酒を差し出した。
僕はそれを、いっきに飲み干し2004年に別れを告げた。大晦日の夜も海から聞こえる波の音は少しだけひなびた温泉街のまちを守っているかの様に夜じゅう鳴り響いていた。
2005年 元旦 雨は上がっていた。6時50分頃、大島の方向から朝日がゆっくりと顔を出した。元日の朝日であった。沖の方で乱反射するその光は弾んでいるようにも見え、煮えたぎって音を立てているようにも感じられた。サヨナラ2004年 ハロウ2005年  
テトラとテトラの間のポイントで3人のサーファー達がゆっくりと沖に向かい元旦の朝日の中、テイクオフを繰り返した。砂浜ではドラム缶で木を燃やし仲間達は暖をとっている。
僕は「おめでとうございます」と挨拶をしてドラム缶のそばに立ち海を見ていた。
サーフボードから上がるキラキラと光る水しぶきは良い年になりそうな予感を感じさせるには充分すぎるほどの美しい風景だった。そして、新しい年が始まった。いつも、そうだ、何かが終わると何かが始まるのだ。
全ては「サヨナラ」からはじまるのだ・・・

...vol 3 人が水に向かう理由
真っ黒に日焼けをした、三浦半島に暮らす職場の先輩は、海と祭りとシーカヤックをこよなく愛し、通勤時間が倍以上になる事を承知で家族で海のそばに移り住んだ。「都会は仕事をする所、海は暮らす所。」と口ひげをさすりながらニッコリする。知人のカメラマンは、時間ができるとカヤックで川を下るのが趣味だという。海とは違い川には決められた流れがある、その決められた流れの中で自分の五感を研ぎ澄まし川を下るという行為は「まるで人生のようだ。」と語る。
僕とその友人達はサーフィンの波に乗った時のスピードとスリルそして疲れ果てた体で沖から見る夕焼けとその後に飲むビールを心から愛している。
後輩は新しく恋人ができ冬の海にドライブに出かけた。友人の女性は嫌な事があったと本牧埠頭あたりでタバコに火をつける。近所の小学生達は今日も釣竿を持ってあの川へと自転車をこぐ。人々は様々な理由で海や川に向かうのだ。
江本 勝 著「水は答えを知っている」という本には色々な水の結晶の写真が紹介されている。著者いわく水は「きれいだね」「かわいいね」「ありがとう」というポジティブな言葉をなげかけるととても美しい結晶を作り、逆に「ばかやろう」「きらい」などのネガティブな言葉をなげかけられた水はグチャグチャな形の結晶を作るという、とても不思議な水の研究の本だ。著者はその本の冒頭で「人は水である」と書いている。人間の体の約70%はぐらいは水分だ、という話をどこかで聞いた事がある。僕はその本を読みながら、勝手に想像を膨らませて、体の中にある水はもしかすると海や川という「巨大な水」に触れる事で浄化され、「きれいな水」に変わり、人はそれを本能的に求めて海や川に向かうのかな?海や川には人や動物の体の中の水を浄化する何かがあったりするんじゃないかな?などとなんとなく、自分勝手な回答を思いつきながら僕はその不思議な水の本を読み終えた。
そして僕と仲間はいつもの様に海に向かった。明け方の道、車の助手席に座る僕は後ろを振りかえって、あの本で読んだ水の不思議な話を両手を広げて少し大袈裟に仲間達に話し始めていた。話が終わる頃には僕等は海という「巨大な水」にたどり着いていた。まだ海には誰もいなく、薄暗い砂浜に打ちよせる「巨大な水」の波の音はまるでどこかの国の聞いたこともない民族音楽のリズムの様に思えた。そして僕等はしばらく、そこに立ち尽くしそのリズムを聞いた。潮にさらされた骨のような流木がその神秘的な風景に拍車をかけた。
僕は、足のつまさきからゆっくりと体の中の水が「きれいな水」になってゆくのを確かに感じていた。

...vol 2 センチメンタルな季節
カーディガンを着ている。
9月だというのにいつまでも暑い日が続き、もう日本には四季がなくなり 秋という季節は今年からもう来なくなったんだろうと本気で思ったりもしたが 今になってみればあの暑さがウソのように思え、タンスからカーディガンを  ひっぱり出し何とも言えないくすぐったい気持ちでカート・コバーンを気取り だらしなく羽織っている。 街は、あのイカれた夏の表情とは打って変わり少しだけ憂いを取り戻したみたいだ。 僕はこの秋という、わずかな季節の表情が四季の中で 一番、好きかも知れない。
スピーカーから出た大音量の音の余韻がまだ漂っている様な夏の明け方の空気とは 違う、誰かが肩にそっと手をおいた様なやさしい空気を僕はこの季節の朝や夕方の 風の匂いにそれを感じることがある。 そして、その肩にそっと置かれた風の匂いはそのまま僕の心の中の記憶に結びつき 普段はあまり思い出さない昔の記憶を蘇らせるのだ。学生時代の事、別れた恋人の事、 あんなに一緒にいたのに今では連絡すら取ってない仲間の事、今でも忘れられない人の事、 さらさらと秋の風と一緒にその思い出は僕の肩をすべりそれはまるで街を歩いている時に どこからか突然、昔よく聞いていた歌が聞こえてきて、「あぁ、懐かしいなぁ」と思う 感じとどこか似ていた。
「明日は、日中は晴天に恵まれますが朝、晩は各地ともかなり冷え込むでしょう」
ニュースキャスターは、無表情で淡々と明日の天気を予測していた。 無表情なニュースキャスターの予報が見事に当たった次の日の寒い朝、僕は車に板と 最近オーダーして出来上がったばかりのフルスーツを積んで湾岸線を千葉方面へと飛ばした。
まだ太陽は昇っていない空の下の高速道路、左目の端のほうで新宿の高層ビル群の明かりを 感じながら車の両方のマドを少しだけ開けてみた。 にごっていた車内の空気が一瞬にしてすがすがしく交じりあい 秋の風の匂いがそっと僕の頬をなでると、まるで映画の予告の断片的な フィルムの様に色々な思い出が頭の中に蘇えってきた。 それは愚かしくもあり、とても純粋だった過去の日々のフィルム。そして朝日がゆっくりと辺りを オレンジ色に染めはじめ、風の中に潮の香りを感じるとその映像は終了した。
その日の海の水は温かくフルスーツだと少し暑いぐらいだったがそれでも僕は新しい フルスーツを着ている事に満足しながらサーフィンを楽しんだ。
両側、田んぼに囲まれた帰り道の交差点の赤信号、車の窓を開けてみると 夕方の秋の風は疲れきった体をやさしくつつむ様に流れていた。 そしてまた僕は秋の匂いとともにゆっくりと思い出を蘇らせている。窓の外を見るとアスファルトの 切れ間から伸びた草が何かを語りかける様にゆらゆらと揺れていた。

...vol 1 なにが楽しいかな?
 数年前まで売れないロックバンドのメンバーとしてイベントやツアーなどでライヴに明け暮れていた頃、ツアー先で出会う地元のミュージシャンや移動中の機材車の中でのスタッフとの会話、ライヴが終わり打ち上げの居酒屋での友人達との会話の中で口癖の様に「何か楽しい事ないかな?」と、皆に訊ねていた。
 決して、退屈な日々を過ごしていたわけではない。今になって思えばむしろ充実していた日々だったかも知れないが半年先ぐらいまで入っているライヴのスケジュールを確認し、高速道路を縦横無尽に爆走する日々の中でのステージは途中から、なんとなくこなしているだけの味気ないものになっていくのを僕の心はゆっくりとそれを感じていた。そして、僕らは8年間の活動を終わらせ、解散した。
 それからは、僕の回りを流れる時間は少しだけ穏やかなものになった。恋人と過ごす時間も友人達と語る時間も充分すぎるくらいゆっくりと過ごせた。一人でルイジアナ州のニューオリンズも旅する事ができた。それでも僕はやっぱり誰かに会うとニューオリンズのバーでも横浜の居酒屋でも地元のラーメン屋でも「何か楽しい事ないかな?」とビール片手にニヤニヤしながら、たずね続けていた。「いやぁ、なかなかないっスよねぇ」「あっ、最近はフットサルにハマッてて」「じゃあ、早朝野球に来てよ」うーん、当たり前だが楽しいと思う基準は人それぞれで、僕がグッとくる話はその中には無かった。
ある日のよく晴れた土曜日の午後に僕は15年来の友人と大黒ふ頭の海釣り公園にいた。2本目のビールを飲みほすと友人は「それならサーフィンやれよ」と言った。「あぁ、サーフィンねぇ・・」10年以上サーフィンを続けている友人は「よし、来週俺が連れてってやるから」「あぁ」と僕は答え、遠く沖のほうでゆっくり進むコンテナをたくさん積んだ貨物船をぼんやりと見ていた。そして僕は生まれて初めてサーフィンをする為に早起きをし、生まれて初めてサーフィンをする為に高速道路を走り、生まれて初めてサーフィンをする為に海に入った。
「あった!!」
そこには確実に僕が求めていた「何か楽しい事」があった。その日の海は全てを忘れさせてくれた。仕事、恋愛、お金、時間。「何か楽しい事」の「何か」の意味はこれだ。
全てを忘れさせてくれる「何か」。
そして僕はサーフィンに恋をした。
沖の方では腕組みをしながら波を待ち、時々後ろを振り返りスープにグシャグシャにもまれている僕を見て友人はニヤニヤと笑うのだ。
帰り道、僕は生まれて初めて水平線に沈む夕陽がこの世で一番美しいものだという事を知った。

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